その手にあおい星を抱く (前)


「話しかけても、いいかしら」

 

 少し上ずった私の声に、気だるげに首を傾げるそぶりだけで彼は応えた。

 夕暮れの工業区。不眠不休のプラントは灰色の地面に座したまま、都市部へと電力を送り込む。遠くからひびく鉄の鼓動に、まなざしを遠くへやったまま、背の高い彼は耳を傾けている。

 

「さっきは、ありがとう。助けてくれて」

 

 答えらしい答えを期待しないまま、私は言葉を口にする。案の定というべきか、返答は聞こえない。

最初に会った時からいつも、このひとはぶっきらぼうな態度ばかりだ。街にいる時も、移動している時も、戦っている時も、安らぐための貴重なひと時ですら。今だって、隣に立つ私を意識もしていないように、汚れた海のかなたをずっと見つめている。

 

「油断していたわ。あなたやしばくんやあいねちゃんに助け出してもらってから、しばらく自分を鍛え直すつもりで戦っていたけど……そういう心構えがもう、戦いには相応しくなかったのかもしれないわね」

「……別に、助けようと思ってやったんじゃねえよ」

 

 思い出したように彼がつぶやいた。戦闘が終わってから初めて耳にする、いつもと同じ彼の無愛想な言葉だった。

 

「あの時は特に何も考えてなかった。目の前があらかた片付いたから、他のやつらをぶっ飛ばしに行った。そうしたらたまたまお前が囲まれてた。ただの偶然だ」

「そうかしら」

「そうだよ。変にこじつけんな」

 

 付き合いきれないとばかりに肩をすくめ、言葉少なに彼は告げる。けれども、それで会話を終わらせるわけではない。この場から立ち去るそぶりも、私を追い立てるしぐさもない。胸の前で固く腕を組み、時が過ぎてゆくのを待つように、じっとその場に佇むばかりだ。

 沈みゆく太陽の光が、濁った海のうわづらを照らす。わずかずつ濃さを増してゆく影に、私は夜の訪れをうかがい知る。隣に佇む彼の表情は、赤錆色の夕日に遮られてあまり良く見えない。あの時も、そうだった。あの時も私はこうして動けないまま、彼の言葉を、動きを、じっと見つめているだけだった。

数刻前に何が起きたか、深く思い出すまでもない。傍らの彼から視線を外し、私はふと、あの戦場の光景を思い返す。ここからさほど遠くない、工業区の外れで始まった戦い――そして、初めて間近で目にした彼の、圧倒的な力のことを。

 

***

 

 戦いの始まりは、完全な不意打ちだった。

切れかけた弾薬と薬剤を補充しようと、市街を目指している道すがらのことだ。死角からの発砲、耳をつんざくような銃声に気づいた時には、私たちはすでに捕捉されていた。ばらまかれた薬莢のように物陰から飛び出すガード・フォースたちは、いずれもよく統率された動きをしていた。散開しながら足早に白兵戦を仕掛けてくる彼らに、私たちは武器を構える間もなく、無防備な状態で立ち向かうしかなかった。

 対サイキックの戦闘訓練を受けていたのだろう、敵の戦術はかなり巧妙だった。建造物の陰や高所、地形差を最大限に活用しながら包囲を狭めてくる彼らに、私たちは徐々に追い詰められていた。彼らは明らかに私たちの分断と、各個撃破を目標として動いていた。有能な指揮官に率いられた兵士の戦い方を、私はあの時嫌というほど思い知らされたのだろう。サイキックと無能力者の差異などものともしない、それは長い年月の中で磨き上げられた、軍隊式の戦闘技術の結集だった。

 

(不意を突かれたまま戦うのは、決してあれが最初じゃなかった)

 

 敵味方が激しく入り乱れる混戦状態の中では、手数の多い敵への決定打であるESPの使用もままならない。大規模なパイロキネシスやエレクトロキネシスを使えば、プラントに誘爆する可能性もある。かと言ってグランソメイユやヒュプノシスを使えるほど、猶予は与えられていなかった。精神に働きかけるESPは、性質上効果の発現までに多少の時間がかかる。普段ならどうということもないタイミングのずれも、その時の私たちにとっては、文字通り生命を奪う間隙になりかねなかったのだ。

 

(最悪の状況だとは、思わなかった。自慢じゃないけれど、軍に捕らえられる前にはもっとひどい戦いをしたこともある。だけど、あんなに心細い思いをしたことはなかったのかもしれない。大勢で戦っているはずなのに、誰とも足並みが揃えられなかったのは)

 

 頼るもの、支え合うものは誰もいない。絶え間なく襲い来る敵を前にして、私に残された選択肢はひとつしかなかった。一文字――この身を預ける刀一振りを手にして、私は目の前のガード・フォースを斬り続けた。噴き上がる血に髪が汚れても、鍔迫り合いの衝撃に指の皮が擦れ腫れても、ひとつひとつを気にする余裕はどこにもなかった。倒しても倒しても現れる、眼前の敵を退けるので精一杯だった。

だから、破綻は必然だったのかもしれない。過度の衝撃を受け止め続けた刀身が、不意に、悲鳴のような鋭い軋みをひびかせたのは。

 

(気づかなかった。何体目かも分からない敵を、力任せに斬ったあの瞬間まで。長い間手にしてきた武器がもう、限界を超えていたなんて)

 

 折れた刀は一瞬、びっしりと錆び付いているように見えた。刀身をくまなく覆うそれが、両のてのひらから伝うそれがおびただしい返り血だと気づいた時にはもう、四方を兵士に囲まれていた。私を睨めつける彼らのまなざしは、決して機械のように冷たくはなかった――サイキックを捕らえる、反逆者をその手で裁く、人類に仇為す怪物を討つ。どんな口実があろうとも、彼らの目にあったものは紛れもない暴力への期待だった。

 

(もう駄目だと思った。手足だって、被害を広げないくらい威力を抑えたESPだって、使おうと思えば何でも使えたはずなのに。あの時は頭が真っ白になって、どうすることも思いつかずにいた)

 

 にぶく光る悪意の塊が迫る。一瞬あとには先端が肉に食い込み、骨を砕き、私のすべてを蹂躙するのだろう。頭ではいくら覚悟していても、すくむ足は、震える腕は、回避のために思い通り動いてはくれなかった。四方から特殊警棒が振りかざされ、いっせいに空を切る瞬間、私は生まれ持った力すら扱えずに――ただ幼子のように、

 

(たすけて、と)

 

……閉じたまぶたの裏を、刹那、いくつかの音が駆け抜けた。

何かがひずむような、ひびが入るような、にぶく深い擦過のおめき。くぐもった呻き声に次いで、硬い金属音が耳を突いた。そして、浅い呼吸を何度か繰り返したあと、いちどきに重い何かが崩れ落ちる。がちゃがちゃと耳障りな、いくつかの振動。辺りを覆う痛いほどの殺気が、霧を払うようにその時、開いた視界の中から消え去っていた。

初めからそこにいたような佇まいで、彼は私の前に立っていた。私めがけて武器を振り上げていたはずの兵士はほとんどが倒れ伏し、かろうじて一体、色の違う制服を着た敵だけがその場に膝をついていた。

 

――楽しかったか。

 

 眼前で片膝をつく指揮官に、彼はそう問いかけた。返答など、あるはずもなかった。目の前に突然現れたサイキック、少年の姿をしたそれとの対話さえ試みず、軍人は素早い動きで腰の銃を抜いた。

 

――楽しかったかって、聞いてるんだよ。弱い者いじめが。

 

 よろけながら彼を追おうとして、立ち上がれないことに私は気づいた。動けない。精神的な怯えはとうにないはずなのに、身体が、押さえつけられたように強張っている。いや違う、本当に抑えこまれていたのだ。彼の放つ不可視の力が、重力の如く場を支配していた――私には「もう動くな」とささやくように、兵士たちには、犯した罪の重さを知らしめるほどの勢いで。

 

――お前ら人間が、俺たちサイキックを怖がるのは当たり前だ。俺やこいつは、お前らがどうやっても手に入れられない力を持ってる。だから、寄ってたかってつまはじきにしたくなるんだろう。人間ってのはみんな、そういう生き物だろうからな。

 

 つぶやく彼の声を、発砲音が裂いた。指揮官らしき男は、銃の照準をまっすぐ彼に向けていた。装填されているのは、強化弾。ふつうの人間であれば撃たれた瞬間に肉が爆ぜ、骨が粉砕される威力を持つ。銃弾が使われる用途は、当然ながら鎮圧ではない。いかなる手段でも矯正の見込みなしとされた凶悪犯を、確実に処分するだけがその弾の使い道だ。

 直撃すればまず生命はない銃弾を、避ける動作さえ彼はしなかった。ただ、羽虫か何かを払いのけるように、無造作に片手を振っただけだった。肉厚な革手袋に包まれた指が、飛来する弾に触れたか触れないか――その時突然、くぐもった破壊音がひびいた。何もない中空に白煙が立ち上り、からから、と金属の破片が跳ねる。一瞬前まで銃弾であったはずのそれはもう、地に落ちてみれば無残に潰れた鉄くずでしかなかった。

 

――いくら群れようが武装しようが、それは別にいい。気に入らねえのは、やり口だ。こいつを追い詰めた時の手、お前ら、慣れてたよな。一番やりやすそうな女子供を他から遠ざけて、寄ってたかって嬲り殺しにする、大方そんな手はずだったんだろう。

 

 淡々とつぶやかれる言葉に、薄く開いた目で私は辺りを見渡した。ともに戦っていたはずの友人たちは、思うよりもずっと遠くで敵とやり合っているようだった。彼の言葉が正しければ、私はきっとおびき出されたのだろう。おそらくは四人の中でもっとも与しやすい、彼らの基準で獲物として適切な対象だったゆえに。

 ざり、と乾いた靴音が鳴る。一歩一歩、静かな足取りで、標的へ彼は近づいてゆく。銃弾を潰したばかりの指先が、かたく握りしめられていた。拳を伝って、音もなく滲み始める、光。呼吸に合わせて強く、弱く、またたきを繰り返しながら、徐々に彼の肉体を包んでゆく。

 

――弱いものをいたぶって殺すのが、お前みたいなクズ野郎の悦びなんだろう。それなら、そういうやつが絶対に体験したことのない、今までにない快楽をお前に与えてやるよ。加減できるかどうかは、俺にも分からねえけどな。

 

 大気が震える。波打つ光が蒼白いフレアとなって、素肌の上で躍り始める。地を踏み締めた彼の両脚から、じわじわと脈動が伝わってくる。引き締まった腕が高く翳され、そして、眼前の標的へと向けられる。

 

――反逆者め!

 

 かち、かち、かち、と。虚しく音をひびかせるだけの銃爪を引きながら、堪りかねたように指揮官が叫んだ。相対する彼の表情は、見えない。呼吸に合わせて静かに上下する背が、倒れ伏した私からかろうじて見えるすべてだ。

 

――呪われろ、忌々しいサイキック――人間の出来損ない――救いようのない――ミュータント以下の化物ども!

――言いたいことは、それだけか?

 

 静けさに満ちた声音。平坦にすら聞こえるその声に、どうしてか、全身がすくみ上がる。ふだんの彼なら口にするはずもない、すべての感情を押し殺した言葉。怒声の代わりに噴き上がる力の奔流が、開いたてのひらの中で少しずつ、ゆるやかに形作られてゆく。

 指揮官格の男は、もはや正気を保てずにいた。戦意を喪失し、ひたすらにその場から遠ざかろうと這いずる。しかし動けない。見えない力で縫い止められたまま、じたばたと苦しげにもがく。それでもどこにも行けない。戦況はすでに覆った。狩りをしくじった人間の辿る末路など、どんな時も、数多くは残されていないのだ。

 

――悪魔、お前は、人間でもサイキックでもない。もっとおぞましい――悪魔だ!

 

 恐慌と侮蔑と畏怖がないまぜになった叫びに、彼はもう、何も答えなかった。翳された手の中で、光が、際限なく膨れ上がってゆく。てのひらから溢れ出す力の光芒が、渦を巻いて虚空を揺るがす。びりびりと肌を刺すまばゆさが、熱い。離れた場所から目にするだけでも、すさまじい力の性質が伝わってくる。

 あの手のなかにある輝きは、具現化された滅びのあかしなのだ。彼だけが持つ力、私の能力でも防ぎきれるか分からない、すべてを破壊し尽くすだけの、力。

 

――「ブレイク」!

 

 たった四文字のその言葉が、破壊の力を解き放つ。限界まで留められた彼の激情が、純粋なエネルギーと化し、辺り一面を青じろく塗りつぶしてゆく。

 圧倒的な光の洪水が、視界を一色に染め上げる。稲妻とも炎とも違う、ほとばしる精神波のきらめきの中、私は最後の力を振り絞って彼を見た。逆光に照らされた彼の横顔、そこに浮かぶものは殺意でも、憎悪でも、ただの怒りですらもなく――。

 

 ひとが悲しみと呼ぶ感情に、それはとてもよく似ていた。

 

(後編につづく)

 

 

 

BACK