その手にあおい星を抱く (後)


「あなたは、自分の力が嫌いなのね」

 

 つぶやいた私の横で、やっと、彼が視線をこちらに向けた。

 褪せた赤銅色の空。水平線につまさきを浸す太陽が、遠くゆらゆらと蠢いている。どこかからときおり聞こえてくる、あれは海鳥の声だろうか。耳を澄ませば風に乗って、か細い残響が運ばれてくる。

 

「……どう考えたって、ありがたがるようなものじゃねえよ。あんな厄介な代物」

 

 低くかすれた声音が耳を打つ。無機質な工場のシルエットを背負ったまま、彼はその場に立ち尽くしている。わずかに鉄錆の匂いを含んだ海風が、青みがかった前髪をさらり、と揺らした。

 

「でも、もしあなたが来てくれなければ、私はあの場でやられていたはずよ。あの力が――あなたにしかないその力があったから、こうして私は生きていられる。それは間違いじゃないでしょう?」

「言ったろ。お前を助けるつもりでやったんじゃない」

「でも、助けてもらったのは事実だわ」

「頑固なやつだな……」

 

 工場の外壁にもたれながら、彼が静かに息を吐く。細められた暗青の双眸が、たそがれに染まりゆく空を仰いだ。

だらりと下げられた剥き出しの肘を、空いた左手がゆるく掴む。目には見えない傷口から、止めどなく溢れ出す血潮を隠すごとくに。

 

「誰かを死なせる夢、見たことあるか」

 

 私のほうへ視線を戻さないまま、彼はぽつりと独りごちた。

 

「単純に死なせるだけじゃない。抑えきれなくなった力が溢れ出して、自分でもどうにもできなくなる。暴走した力が手当たり次第傷つけて、呑み込んで、全部を奪い去っていく。あれを使うと、いつもそういう夢を見る。どうしようもねえ、最低の夢だ」

「……でもそれは、現実の話じゃないでしょう」

「本当にそう思うか?」

「……夢は、ただの夢よ。関係ないわ、どんな内容だって……」

 

 言い返す声が弱々しく震えているのを、自分でもはっきりと感じた。お前には分からない、知ったような口を利くな、と、正面から拒絶されたほうがいっそ楽だったかもしれない。扱いきれない力の恐ろしさは、ESPを持つ者なら誰でも身に沁みて理解しているはずなのに――何も知らずに慰めるつもりで、私は彼を却って傷つけてしまったのだろうか。

 ……海の青でも空の青でもない、もっと深い色のまなざし。どんな思いで遠くを眺めているのかは、きっと、彼自身にしか分からない。

 

「あのガード・フォースも、俺に向かって『悪魔』とか喚いてたろ。人間でもサイキックでもない、もっとおぞましい何かだってさ。カビの生えた言い回しは気に入らねえが、あいつの言ったことは半分正解かもな……自分のやっちまったことを覚えてないだけで、もしかしたらあの夢も、本当は」

「そんなこと、……違う……」

 

 うまく、言葉が出てこなかった。

 

「……悪魔じゃない。悪魔なんか、この世のどこにもいないのよ。あなたも私も人間だわ、ただ、他の人にない力を持って生まれてきただけで」

 

 ひどく喉が渇いている。胸の奥に声が張り付いたように、それきり何も告げられない。伝えなければならないのだ、彼は自分で言うようなおぞましい存在などでは決してないと。制御出来ない力への恐れこそが、彼のなかにある人間らしさの紛れもない証拠なのだと。

 

(彼は、この人は、私を二度も救ってくれたのに。終わりの見えない牢獄の日々からも、一人では這い上がれない死の危険からも、その手で助けだしてくれたのに。それなのに私はどうして)

 

  どうして、彼のための言葉を見つけられないのだろう。どんな慰めも励ましもきっと、彼が味わってきただろう苦しみの前には無力だ。帰るべき寄る辺もすがるべきぬくもりも奪われ、恐るべき破壊の能力だけを持たされて、このひとはどれだけの間彷徨ってきたのか。そっけない物言いの裏にあるだろう孤独、そのひとかけらを想像することさえも私には叶わない。こんな時あいねちゃんなら、いったいどんなふうに話すだろう。生まれ持った力をふるうたび傷ついてゆく、このやさしいサイキックのために。

 暗く沈みゆく空の果てに、あてもなく目を凝らす。くろぐろとわだかまる海の向こう、あかねと藍のまじりあうその先に、かすか、またたくものが見えた。沈みゆく夕陽の上でそれは、しらじらと確かな輝きを放っている。

 

 ――心の内側のどこか深い場所で、その時、何かが動くのを感じた。

 

「星……」

「……星が、どうした」

 

 そっけなく返す彼の手を、腕を伸ばして引き寄せる。気のないそぶりで伏せられていた顔が、ぎこちない動きでわずかに上向いた。訝しげに細められた目元には、戸惑いがある。

 

「……あの時、まぶしくてたまらなかった。あなたの手のなかに、きれいな、あおい光が見えた」

 

 埋もれかけていた記憶が、さみだれのように降り注ぐ。胸の内から止めどなく溢れ出す、思いのまま私はつぶやく。私より一回り大きなこの手のなかには、あの時、光が点っていた。地上に落ちてきた星のように美しく澄んだ、それは何よりも力強い輝きだった。

 

「あいねちゃんからね、前に教えてもらったの。サイキックも、力を持たないふつうの人間も、みんな自分の内側に光を持っているって。ひとそれぞれ色もかたちも違うけれど、目を凝らして見れば分かると言っていたわ。私はあの子のように強く思いを感じ取れないから、どんなふうに見えるのか、今まで分からないままだったけど」

 

 無骨な手袋に包まれた指を、ふたつの手でそっと握りしめる。破壊の力、何もかも無に帰す恐るべき力を秘めた、ひとの恐怖を呼び起こす悪魔の右手。だけれどもこうして触れていれば、他の人間と何も変わらない。

 

「あの時、あなたの手のなかに、小さな星があるみたいだった。あれはきっと、あなたの心の光なのよ。あおく透きとおった、きれいな星の光。……誰かが傷つくよりも自分が傷つくことを選ぶ、不器用でやさしいひとの心だわ」

 

 頬がひどく熱い。乾いた空気に晒された目元が、じんじんとにぶくうずく。

彼が、大きく息を吸う。握りしめた片手から伝わる鼓動は、わずかずつ速まっているようにも感じられた。

 

「……『あれ』を間近で見てまだそんなことが言えるんなら、お前も相当夢見がちだな」

「私は私自身の目で見たものを、見たままに信じているだけよ。あの力が引き起こす破壊よりも、あなたのなかにある人間らしさを信じているだけ。……自分が正しいと思うことを拠り所にしないのなら、他にいったい、この世の何を支えにすればいいの?」

「俺が答えられるわけねえだろ……そんなこと」

 

 頭上から降る彼の声は、言葉に反して聞いたことがないほど穏やかだ。無造作な手つきで、乱れた髪をくしゃくしゃと撫でられる。視線を上向かせればきっと見えるだろうその顔を、今だけは見るな、と言うようなしぐさだ。

 

「ああ、もう、……畜生。お前らそこにいるんだろ、何とかしろよ、こういうの」

「……え?」

 

 ゆっくりと顔を上げる。振り仰いだ彼の横顔は、なぜか先ほどよりも夕焼けの色に近かった。苦虫を噛み潰したような表情で物陰を眺める、その視線をこわごわと追う。話している最中、ついぞ目をやることもなかった路地裏からは、大小ふたつの影がくっきりと伸びていた。

 

「いやあ。バレちゃったか、こりゃ一本取られたね」

「取られちゃったねぇ!あはは」

「笑ってる場合かよ……」

 

 背の高いみどりの髪の友人と、その横に立つ栗色の髪のあの子――しばくんとあいねちゃん。不満気な呻きを漏らす彼に、悪びれた様子もなくふたりが笑う。物陰からひょこりと現れた彼らはどちらも、応急処置用の薬や弾薬が詰め込まれた袋を両手に抱えていた。

 そういえばふたりには、街での買い出しを任せていたのだ。記憶に間違いがなければ、消耗のひどい私と彼が休んでいる間に、最低限の用事だけを済ませてもらう手はずだった。けれど揃って居住区へ転移していくふたりを見送ったのは、どのくらい前のことだったか。夕陽の沈み具合から見て、もう二時間か三時間か、とにかくずいぶん時間を遡るような気がするのだけれど。

 

「いつから、聞いてたの……?」

「うーん、そんなに前でもないよ。みさちゃんがみなみのところに寄ってきて、話しかけてもいい?って聞いた辺りからかなぁ」

「ほぼ全部聞いてたんじゃねえか!」

「ははは。まあ、細かいことはこの際いいじゃない」

 

 声を荒げる彼を見て、しばくんがまたふわふわとした声音で笑う。年嵩の兄弟が下の子に向けるような、鷹揚でやわらかい笑い方だ。

 

「でも、みなみも隅に置けないなあ。おれたちが出かける前はあんなにへばってたのが、帰ってきたらみさちゃんとふたりで楽しくやってるんだから。お堅いみなみくんも女の子にようやく興味を持ち始めたようで、お兄さん嬉しいけどちょっとさびしいよ」

「誰がお兄さんだよ!ちょっと背が高いだけで兄貴ぶってんじゃねえよ!だいたいお前、こないだ『ぼくのほうがたぶん年下なんだからおこづかいちょうだい』とか言ってただろうが!年上ぶるならあの時ぶんどった金返すか新しい武器買ってよこせ!俺いまだにユニコーン使ってるんだからな、お前がもったいないって言って売らなかったやつ!」

「え、あんなのもう処分しちゃっていいよ、さすがに結構ガタが来てるだろうし。あと、お金のことでケチケチすると女の子に嫌われちゃうから気を付けなね」

「お前いい加減にしねぇとメタルブーメランの角でどつき回すぞ!?」

「……み、みなみくん……その、落ち着いて……」

「みさちゃん、みさちゃん。あれ放っといていいやつだから」

 

 おずおずとふたりに手を伸ばしかけた私に、あいねちゃんが後ろから声をかける。袖を引く彼女の表情には、心配そうな様子など微塵もない。物騒極まりない彼の怒りようも、むしろ喜々として眺めている。

 

「あのね、あれ、ただの恒例行事なんだよ。止めなくてもそのうち終わるから、遠くから見てるだけで大丈夫」

「恒例……?」

「うん。しばくんがしょうもないことでみなみくんの神経を逆撫でして、ぐわーっと怒られるじゃん、それが落ち着いたらはいおしまいなの。滅多に後引くような喧嘩しないから平気だよ。あのふたりだっていちおう分別の付く年頃だしね」

「……そうかしら」

 

 しばくんに食ってかかる彼の剣幕は、私から見ても相当なものだ。今にも胸ぐらを掴みそうなほどの怒り方も、彼にとっては日常茶飯事なのだろうか。不安げな私の視線に気づいたのか、あいねちゃんがすらすらと言葉を重ねる。

 

「まあ、今日はいつもよりちょっぴり激しいよね。照れ隠しもあるからね」

「みなみくんは……あれは、照れているの?」

「そうだよ。みさちゃんにやさしくしてもらったから、恥ずかしがってるんだよ。みなみくん、人から褒められたり好きって言われたりするの、全然慣れてないからねぇ」

「す、好きなんて、そんなこと私は言ってません!」

 

 思わず声を上げたあとで、ふと、我に返る。さっきまで凄まじい怒声を上げていたはずの彼は、呆然とした表情でこちらを見つめていた。隣に立つしばくんは表情を変えることなく、穏やかなほほえみを浮かべている。

 

「ほら、みなみ、みさちゃんを困らせちゃだめじゃないか。人にやさしくしてもらったら、『ありがとう』ってきちんと言わないとさ。世の中には言わなきゃ伝わらないことがたくさんあるんだから」

「そうそう!言葉は大事だよぉ」

「うるせえな!いちいち揃って煽るんじゃねえよ!ちったあそのやかましい口閉じてろ、口!」

「おお、こわいこわい」

「こわいこわーい!あはは」

 

 矢継ぎ早に言葉を繰り出すふたりに耐えかねたのか、ふたたび彼が苛ついた声音を上げる。並の傭兵やミュータントなら腰が引けるだろう怒声にも、ふたりはまったく動じてはいなかった。言葉とは裏腹に楽しげなしぐさで、揃って来た道を駆け戻っていく。けれど走り出す寸前、彼らが「してやったり」とでも言いたげに視線を交わしたように見えたのは、私の気のせいなのだろうか?

 

「いつか本気でシメてやるからな、あいつら……」

 

 みるみるうちに遠ざかっていくふたつの背を見ながら、ぶつぶつと彼がつぶやく。物騒な物言いに反して、少年らしい甘さを残した声音はもう、それほど不機嫌に染まってもないようだった。腰に手を当ててひとつ、長いため息が空に溶ける。そしてこちらへ振り返る、いつものようにぶっきらぼうな面差しのままで。

 広がり始めた夜空と同じ色の瞳は、今、一片の哀惜にも染まってはいない。

 

「みさ」

 

 彼が、私の名を呼ぶ。

 少し早口に。しばくんやあいねちゃんに話しかけるのと同じ、今までよりずっと砕けた調子で。

 

「悪かったな。面倒くさい話聞かせて」

「……ううん。いいの。みなみくんと話ができて、私、嬉しかったから」

「そうか?」

「そうよ」

 

 ゆっくりと歩き出す。ばらついて聞こえたふたつの足音が、歩調を合わせるにつれて重なり始める。にぶくひびく潮騒と工場の重低音のなかを、私たちは迷わずに抜けてゆく。道の先はまだ見えないけれど、歩き続けていればいつか、どこか、望んだ場所に辿り着ける気がしている。

 

「……『     』」

 

 つぶやきが聞こえた。小さな、ともすれば聞き逃してしまいそうな、それは傍らの彼が発した言葉だった。そっけない声で告げられたひとことに、私は、顔を上げてほほえむ。

 

 

 ――その手にあおい星を抱くサイキックの少年は、夕闇のなか、どこか照れくさそうに笑っていた。

 

 

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