ヤマシタ中尉は帰りたい


 ロッカールームの扉が開いたのは、ブーツの紐を結んでいる時だった。

 

「ヤマシタ、居るか」

 

 声音とほぼ同時に勢い良く開く扉に、私は内心思いきり顔をしかめる。いやになるほど聞いたその声は、どうやっても間違えようがない。勤務が終わる直前、面倒事がこれ以上起きなければいいなと思うたび、決まって私の耳に飛び込んでくる。

 

「居るのが分かってておいでになったんでしょうが、中佐は。白々しい方ですね、本当」

「部下の行動パターンひとつ把握できずして、佐官の椅子には座っていられんさ」

 

 臆面もなく告げるこの方の名はズイム中佐という。軍人としての経験も戦果も私とは比べ物にならないほど積んだ、組織全体からしてもかなりの実力者だ。本来なら直接声をかけるのもおこがましい方に、私がぞんざいな口をきけるのには幾つかの理由がある。ひとつには中佐が肩書を気にしない――というよりも、意図して無視している感すらある――良くいえば実力主義な人柄であること。

 そしてもうひとつが私の苦手意識の源でもある、ちょっと困った嗜好をお持ちなことだ。

 

「嫌ですよ、これから仕事に戻るのは。どうせまた中佐は尋問の必要性があるとか言って、あのサイキックの女の子にひどいことをするんでしょう。あれは見てる側も辛いんですからね、私なんか繊細だから特に……」

「あの小娘は、なかなか歯ごたえがある」

 

 こちらのささやかな忠言になど、中佐はまったく耳を貸さない。むしろ嬉々として捕虜の反応を語るのだから、言葉すら通じていないのだろうか、と疑いたくもなってくる。

 本来とっくに大佐まで昇進していてもおかしくないこの方が、未だに中佐止まりである理由がこれだ。燃え立つ炎のような髪と瞳を持つこの中佐殿は、見かけどおりじつに激しい気性をお持ちになっている。いかなる状況でも即断即決にしてためらわず、歴戦のサイキックを前に一歩も退きはしない。ただそこに在るだけで全軍を鼓舞する勇猛さは、目にするのが戦地であればひどく心強い――問題は、好戦的すぎるその気質が、どこであれ遺憾なく発揮されてしまうことであって。

 

「あれは、いいぞ。今まで遊んできた凡百のサイキックどもとは違う。私が構ってやればやるほど、かけた期待以上の抵抗を見せてくれる。率直に言って好みのタイプだ」

「だからそういう人聞きの悪いことは仰らないでくださいよ!プリズン・ルームのズイム中佐は尋問マニアって、ただでさえ他の部署から陰口叩かれてるのに……!」

 

 曲者揃いな軍の内部でも、ズイム中佐は特に毀誉褒貶が相半ばするお方だ。比類なき剣技の冴え、知略と果断を併せ持つ気質を指して鬼神の如くと讃えるものもあれば、殺戮に飢えた悪魔と口さがなく罵るものもある。それ自体は構わないのだ。誰が褒めそやそうと、あるいは嫉み妬もうと、中佐の実力を根本的に否定できる人間など存在しないのだから。上司が有能なせいで妬まれるのは、直属の部下にしてみればむしろ光栄ですらある。

 しかし当人の人格破綻ぶりまで指摘されては、私だって、どうしようもないではないか。

 

「中佐がのべつ幕なしに捕虜をいじめるせいで、部下の私まで風評被害に遭うんですよ。この間セルダン大佐に謁見した時だって、『ズイムは相変わらずだそうだが君もああいう手法を嗜むのかね』とか聞かれちゃったんですからね。『ああいう手法』ってなんなんですか。私がお手伝いしてるのって、尋問の記録と時間計測だけじゃないですか。私のこと上にどう報告してるんです中佐。お願いだからかわいい部下の評判に傷を付けないでください、ねえ中佐ったら」

「あの堅物の言うことなど放っておけ」

 

 傲然と言い放つ中佐のお姿は、困ったことにひどく凛々しい。すらりとした痩躯――ひとかけらも無駄な部分のないシルエットは、長い年月を経て戦いに最適化された肉体だ。研ぎ澄まされた刀身のように鋭いその身を包む、真紅の生態鎧もまた素晴らしく決まっている。

 口さがない同僚には、生態鎧をまとった中佐を指して「化け物」という者もある。だが、私はその意見には頷かない。確かにこの方の抜刀術たるや人外呼ばわりされても仕方ない絶技であるが、しかし中佐はあくまで人間の範疇において強いだけなのだ。私たちが手を焼く一部のサイキックどものように、念じるだけで何かを破壊したり、その場から忽然と消え失せたり、見えない力場で攻撃を弾いたり、他人の心の中までずけずけ覗いてきたり……とにかくそういうわけのわからないことはしないのだから過剰に恐れる必要だってない、と、思ってはいるのだけれども。

 正直なところをいえば、最近、あまり自信がない。

 

「だいたいお前、私の部下になった時点で、巷の評判を期待するだけ無駄だろうに」

「ご本人に言われてしまうと立つ瀬がないんですが!あとタバコは駄目です!匂いが髪につくと取れないんですよ!」

 

 鎧の内側から紙箱を取り出す中佐に、私はせいいっぱいの抗議をする。切れ長の瞳を静かに細め、中佐は存外に長い指先で、紙巻を一本だけ取り出した。見せつけるように唇にくわえるしぐさが、またたく蛍光灯の下で妙になまめかしい。

 

「まあ聞け。ヤマシタ」

「支給品の合成ソープは安物だから、重ね洗いしてもなかなか落ちないし。髪が痛むとそこら中に引っかかって、戦闘スーツ着る時にも……」

「ヤマシタ。聞け」

 

 心なしか低く篭められた声音に、一も二もなく口をつぐむ。無機質な蛍光の下で見る中佐の双眸は、いつもよりさらにぎらついているようだった。蹂躙され尽くした戦地に燃える黒炎のように、瞳の色はどこか禍々しい熱を宿している。十年経とうが百年経とうが私には真似できないだろう、それは何かにたまらなく飢えているまなざしだ。

 

「お前はいろいろと思い違いをしている」

「……思い違い、ですか」

「そうだ。私はべつに、尋問という行為自体を好きこのんでいるのではない」

 

 中佐がつとめて静かな口調を用いることが、何を意味しているのか私は知っている。

 この方の内にはつねに、消すことのならない火が燃えているのだ。絶えず心を昂らせ戦いへと駆り立てる、狂気にも近しい衝動が渦巻いているのだ。自身でもどうにもできない、御しきれないその熱が溢れ出しそうな時、中佐はただ沈黙の中で微笑う。戦いのために生み出されたミュータントが、流れる血を求めて衝動のまま吼えるように。

 

「弱者を痛めつける行為そのものに、価値を見出しているわけではないのだ。私が尊いと感じるのは、理不尽な暴力を浴びてなお立ち上がり、勝機を探さんとする者の意志なのだよ。幾度踏みにじられ、誇りを奪われ、耐え難き汚辱を被ろうとも、サイキックどもは己の運命に抗おうとする。たまらなく気高く、美しい話じゃないか」

「……軍の人間が反逆を奨励したら、まずいんじゃないですかね……?」

「公私混同はせん。仕事は仕事だ」

 

 淡々とした言葉の下で、真紅の生態鎧が小さく軋む。胸の前で交差した腕が、互いを抑えつけるようにかたく組み合わされている。私に投げかけられたそっけない返答は、もしかしたら中佐からご自身に向けた戒めであるのかもしれない。そうでなければその手は――装甲に食い込むほど力の篭められた、指先は何を欲しているというのか。

 

「反逆者には然るべき罰を与える。奴らサイキックが狩られるものであり、私が狩るものである限り、その前提は決して揺るがん。だがもし、もしもだ、ヤマシタ、このバカげた繰り返しに終わりが来たらどうする?サイキックどもが人類よりはるかに上位の存在となり、この世界の支配権を譲り渡す時が来たら、その時われわれはどうなると思う」

「……それは……」

「恐ろしいだろう」

 

 炯々と紅い瞳が光る。地下深く押し込められたプリズン・ルームの薄闇の中で。壁を隔てたすぐそこかしこに、囚人たちの怨嗟が渦巻く空間で。心の弱い人間ならばすぐに気圧されるだろうこの牢獄で、しかし私が恐ろしいと思うのは中佐ただ一人だ。

 

「――カルヴィノがやられた話は聞いたか」

「え、ええ。確か、病院に侵入したサイキックどもを捕縛しようとして、逆に退けられたらしいとは。何があったかはよく知りませんが」

「ならば、教えてやろう。カルヴィノを痛めつけた奴らはな、全員まだ年端もいかぬ子どもだったそうだ」

「子ども……」

 

 脳裏にひとりの少女の姿が浮かぶ。宝石のようにきらきらしい紅の髪と瞳を持つ、サイキックのあの少女だ。中佐にどんな責めを受けようが決して屈することのない、どこまでもまっすぐで誇り高いあの娘のまなざし。

 常人には見えないものをきっと信じているのだろう、どこか神々しいあの眼が私は苦手だ。自分の中に柱らしい柱もなく、上からの命令に従事し、ひたすら日々を浪費するだけの浅はかな性根を見透かされているようで――人間とはどこか違う、それこそもっと高みにあるものから、静かに見つめられている気がするのだ。

 カルヴィノ少佐を下したというサイキックたちも、あんな恐ろしい瞳をしているのだろうか?

 

「仲間を求めているのだそうだ、奴らはな。軍の施設に囚われている、サイキックの友人を探しているらしい。病院への侵入も、カルヴィノとの交戦も、その尋ね人の居所知りたさでやったようだが」

「中佐、それは、それって。まさかあの、『みさ』とかいう子のことじゃないでしょうね」

「さあな。そうだったら、お前はどうする」

「冗談じゃありませんよ、冗談じゃ……!」

 

 からかうような物言いの中佐に、私はばたばたと首を振ってみせる。本当に冗談ではない。いくら対サイキック戦闘の訓練を受けたとはいえ、あくまで私はただの軍人なのだ。射撃の腕が平均より少しだけ上だからといって、息をするようにおかしな能力を使う連中と互角に渡り合えるはずもない。ましてあのカルヴィノ少佐――女性ながらズイム中佐と肩を並べるほどの指揮官であり、卓越した技能を持つ戦士であり、そしてまた冷酷無比なサイキック狩りでもある――彼女を下すほどの相手に、どうやって勝てというのだろう。

 

「私は待ち遠しいぞ、ヤマシタ。その年若いサイキックどもと、剣を交えられる時が。もしかしたらこの世の理そのものを揺るがすかもしれない相手と、死力を尽くして戦う日がな」

 

 まるで次の休日が楽しみだ、とでも言うような、しごく軽い調子で中佐は告げる。迫り来る標的との戦いが遊びでは済まされないことも、勝敗にご自身の生死すらかかっていることも、全て承知のうえなのだ。敵の危険性も乏しい勝算も分かっていて、それでもこの方ときたら、その時が「待ち遠しい」などと言ってのける。

 私からしてみれば、とても常人の神経ではない。

 

「……中佐、私はこれから非番なんですよ。この辛気くさいプリズン・ルームから出て、買い物して、食事だってひさびさに奮発して、とにかく自由時間を満喫したいんですよ。おっかないサイキックどもとどう戦うかなんて、一瞬たりとも頭に置いておきたくない案件なんですよ、今は」

「何が言いたい?」

「中佐は自分が満足できる相手と思いきり戦いたいのでしょうけど、私はそうではないということです!……あっ」

 

 息継ぎなしでしゃべり終えて顔を上げると、中佐は何やらじっと考え込んでいるようだった。先ほどまでの薄い笑みもどこかにしまい込んで、眉間にかすかなしわを寄せたまま、口元の紙巻を撫でている。まずい。中佐が細かいことを気になさらないからといって、さすがに今の物言いは無礼が過ぎただろうか。

 

「……あ、あの、中佐。お気を悪くされたのでしたら、その、申し訳ありませんでした。ええと、でも、できれば公休取り上げとか、一週間ぶっ続けで当番とか、あと免職だけはその、勘弁していただけると……」

「ヤマシタ」

「は、はい!」

「お前はつくづく、私の性分を分かっているようじゃないか」

「え」

 

 後ろめたさに逸らした視線を、再び目の前へと戻す。細められた中佐のまなじりからは、黒ぐろとした渇きも、昂りも、もはや感じることはできなかった。長身を軽く丸め、肩をすくめたまま、気のない調子で上司どのはつぶやく。

 

「お前を手元に置いたのは正解だったな。おかげで余計なことを考えずに済む」

「……私って、射撃の精度を買われて、中佐の下に配属されたんじゃなかったんですか」

「それもなくはない」

「えぇ……」

 

 一気に膝から力が抜けていきそうになるのを、ぎりぎりのところで踏みとどまる。爪先に触れたものに視線をやると、先ほどロッカーから取り出した荷物だった。そうだ、私は帰り支度をしていたはずなのに、どうしてこんなことになってしまったのだろう。中佐に捕まらなければ今頃、地上に出てひさびさの自由時間を堪能していたはずなのに。

 足元に投げ出した荷物を拾い、ほどけかけていたブーツの紐を結び直す。中佐は何を言うでもない。のろのろと帰り支度をする部下の様子を、珍しい生き物でも見るかのように眺めるばかりだ。

 

「……もう、今日は、上がります」

「そうだな。さっさと帰って、乏しい自由を好きなだけ味わってこい。何かあったらすぐに呼び出してやる」

「私はいつも、アークシティの平和を祈ってますよ……」

 

 後ろ手に扉を閉める時にはもう、振り返る気力すら残っていなかった。

 なけなしの荷物を背負い、通用口に向かう廊下を力なく歩きながら、私は中佐の話を思い返す。人間とサイキック、狩るものと狩られるもの、マインド・コントロールに身を委ねるものと抗うもの。いつの日かその地位が逆転するとしたら、私たちはどれほど罰を受けることになるのだろう。今まで虐げてきたサイキックたちから、どれほどの殺意と敵意を向けられることになるのだろうか。

 そもそもなぜ、サイキックは狩られる立場にあるのか。人類全体の調和を保つためのマインド・コントロール、それを無効化する存在は脅威でしかないと、上層部の佐官たちは言う。だけれども、そのコントロール自体の正当性は誰が保証してくれるのだ。外部からの思考矯正を受け付けず、己の思うように生きているサイキックたちを、なぜそのままにしておいてはいけないのか。それとも本当は別の理由、私たち軍属ですら知らされていない目的のために、彼らが集められているのだとしたら。でもそれは何のために、なぜ、いつから――誰が?

 ああ、ひどく、頭が混乱する。私はいったい何を考えて、

 

***

 

 (……鐘が鳴っている。どこか、とても、とても遠くで)

 

***

 

 気が付くと私はひとり、誰もいない廊下に立ち尽くしていた。

 時間はちょうど、勤務明けから半刻ほど経った頃だ。鏡のように磨き上げられた眼前の壁には、疲れた顔の自分がぼんやりと映り込んでいる。私物の鞄を肩から提げ、伸ばした髪もところどころほつれて、そうだ、私は帰って休もうと思っていたのだった。

 深々とため息をつく。帰宅途中にまで意識を落としそうになるなんて、今日の私は相当参っているに違いない。やっぱり環境が良くないのだ、仕事の内容といえば捕虜の収監と尋問ばっかりだし、上司のズイム中佐だって何を考えているのかよくわからないお人だし。そういえば退勤の前に中佐と何か、とてつもなく恐ろしい話をした気がする。あまり愉快な内容でなかった気がするけれど、疲れているせいかよく思い出せない。

 

「まあ、いいわ。私には関係ないもの」

 

 地上への通用口に向かいながら、独りごちる。誰が何をどう言ったところで、私は私の務めを果たすだけだ。軍から支給される給与ぶん働いて、たまに来る休みを堪能して、そうしてあくせくと暮らしていくのだ。世界はそうやっていつまでも回っていくのだから、私は何も心配せずに、与えられた役目をこなしていけばいい。

 

「関係ない、関係ない。私は私の仕事をするだけ。ズイム中佐の手伝いをするだけ」

 

 厄除けのまじないのように繰り返しながら、いつものように角を曲がる。

 廊下の向こうでは色鮮やかな髪をした子どもたちが数人、軽い足音を立てて駆けていくところだった。

 

 

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