星食の日


 帰りついたねぐらは、いつもよりさらに閑散としていた。

 

 硝煙と砂埃のにおいを含んだ、ここは痩せた風が吹く場所だ。かつてはそれなりの規模を誇った街並みも、繰り返された戦闘の衝撃で今は見る影もない。薄暗い闇の中、バイザー越しに目を凝らせば嫌になるほど破壊の爪痕を探すことができる。不可視の力場に磨り潰された機械の残骸、真っ二つに捻じ曲げられた散弾銃のようななにか、着用する者を失った防弾服――弔い手もない屍ばかりが乾いた風に洗われ、削られて、やがてかたちを失ってゆく。今さら感慨を覚えるほどのことでもない。ただ、積み重なるそれらを直視しようとすると、どうしてかひどく眼の奥が痛くなる。

 

 歩きながらゆっくりと知覚の網を拡げてゆく。周囲に、人影らしい人影は見えない。廃墟のように静まり返った建造物の合間、時おり響くのは、都市機能を維持しようとする制御機構の駆動音だけだ。相次ぐ戦闘で住民が駆逐され、この地に住まうものがなくなろうとも、上位の存在から命じられぬ限り環境制御システムが停止することはない。既定のプログラムに従うだけのものにとって、存在意義の有無など問題ではないのだ。あらかじめ刷り込まれた使命を果たし続ける他、彼らに選択肢は与えられなかったのだから。

 

(それなら、僕たちはどうだったのだろう)

「お帰り」

 

 黙考に沈みかけた意識を、穏やかな声音が引き戻す。視線を上げると、壊れかけた街灯の下に見慣れた姿があった。己よりも少し背の高い、彼。明滅する光に照らされた顔は、最初に出逢った時と同じくらい、生気に乏しく蒼白いようにも見える。

 

「見回り、ご苦労さま。どうだった」

「どうってこともないよ。敵らしい敵もいなかったし。ここはもう、完全に放棄されてるみたいだ」

「だろうね」

 

 いつからそこにいたのか。問うだけ無駄だと分かっているから、敢えて口にもしない。距離と空間を自在に跳躍する彼にとって、単純な遠近は無意味に近い。かつてはその手を幾度となく取り、村から街、洞窟、研究所、そしてはるか空の上まで自在に駆け巡ったものだ。あの時から時間を止めてしまったかのように、彼の能力には何ひとつ衰えがない。むしろ一切の制約から解き放たれたかのように、際限なく跳躍の異能は成長を続けている――このままゆけば冗談抜きに、星から星をもかるがると渡れるようにもなるのではないか。昔はともかく今の彼が、そんな夢のような望みを持つとも思えないが。

 

「呆気ないよな。最初はあれほど威勢がよかったのに。こんなにすぐ息切れされると、こっちだって拍子抜けだと思わないか」

「……そうだね」

 

 薄闇の中で光る。力を揮うよろこびを知ったみどりの瞳が、そして、胸元に留められた同色のラドクリフが。過日は禁欲的なまでに自制していたはずの彼が、今は誰よりも戦いを願っている。変わってしまった彼の姿から、もう、目を逸らすことも叶わない。

 彼だけではない。自分も、他の仲間たちも、みな変わり果ててしまったのだろう。あの瞬間、この世界を統べるマインドコントロールシステムを破壊した刹那、どこかで何かの歯車が狂ってしまった。意識統制から解き放たれた人々は抑圧のはけ口を探し、数的弱者たるサイキックを暴力の標的とした。暴徒と化した市民たちの殺意は果てがなく、苛烈であった軍のサイキック狩りですら、彼らの無軌道な破壊に比べれば児戯のそれに等しかった。

 

 激しい弾圧は人類だけでなく、サイキックの精神をも徐々に蝕んでいった。理性の介在する余地のない、それこそ虐殺とも呼べる光景は各地で繰り広げられた。最初こそ無為な戦闘を嫌い、対話を求めたサイキックたちであったが、それも束の間の話でしかなかった。争いから逃れ続けてきた平穏の地、マムスの村が炎の中に滅びた時、彼らの心をもまた破壊の火が焼き尽くしたのだ。異能者たちが禁忌であったESPの対人行使を躊躇わなくなり、個々の力を最大限に発揮するようになった時、戦況は完全に逆転した。破壊、跳躍、防壁、精神探査と多種多様な異能を揮う彼らに対して、無能力者たる人類の抗戦手段はあまりにも限られていたのだから。

 

「……みさちゃんと、あいねちゃんは?」

「先に休んでもらっているよ。昨日の戦闘で、二人とも新しい力の使い方をしただろう?久々に疲れが出たみたいだから、無理をしないようにって寝かせたんだ」

「そう。その方がいいね」

 

 時間がどれだけ経とうとも、目の前で起きた戦いはなかなか記憶から消えてはくれない。まぶたを閉じずともまざまざと浮かんでくる。同時に発生させた障壁の間に敵を挟み込み、原型を留めなくなるまで圧搾した紅い髪の少女。精神を幼児まで退行させた敵の一団に、判断系統を狂わせた機械兵をぶつけて虐殺させた茶色い髪の仲間。二人とも笑っていた。見開いた瞳からとめどなく涙をこぼし、嗚咽のような声を漏らしながら、ただ、ただ、いつまでも笑い続けていた。

 

「僕も、二人には負けていられないからな。今度敵に遭ったら、ちょっと違う戦い方を試してみようと思うのさ。ほら、『バドテレポート』の応用で、あれをもっと上空に飛ばして落下の衝撃で」

「……ごめんね。何だか、僕も疲れたみたい」

 

 ひとこと告げた瞬間、少年の顔からいっさいの表情が抜け落ちた。またたき幾つかぶんの沈黙。そして、まるで何事もなかったように、はにかみを含んだやわらかい微笑。

 

「悪かった。気を張っていたのにな、ずっと」

「ううん。仕方ないよ」

 

 こうやって同情を誘う行為が、互いのために良いとは思わない。それでも、昔のままの彼に会いた

かった。思慮深く、冷静で、いつも仲間のことばかり考えている彼に会いたかった。彼だけではない、出来るなら仲間の少女二人も、自分も、何もかも引き金を引く前まで戻したい。けれどそれが叶わないからこうして、仲間思いだったあの時の彼を呼び戻そうとするのだ。終わりのない戦争の中で失われゆく人らしさを、少しでも長く保とうとして。

 

「明るくなるまでに、もう少し風に当たってくるよ。何かあったらすぐ戻ってくるから」

「ああ。……気を付けるんだぞ」

 

 頷いて背を向けるか向けないかのうちに、気配は跡形もなく掻き消えていた。恐らくは少女たちが眠る、どこか近くの建物にでも跳んだのだろう。後で彼が休む時間も作ってやらなければ、と思いつつも、足はひとりでに歩き出していた。

 

 整備された区画から市外へ抜けるにつれ、辺りの様子は装いを変えてゆく。痛々しい傷を残す舗装路から、大きく削り取られた土の道へ。墓標のように地面に突き刺さった建造物から、炎に捻じ曲げられた木々のあわいへ。そして辿り着く先は、どす黒く濁った川のほとりだ。汚染された水面にさまざまな堆積物が浮かび、また消えてゆくそのさまを、岸辺に腰掛けてぼんやりと眺める。

 澱んだ川の流れはどこを取っても、心の中にある風景とは重ならない。それなのにどうしてかいつも、懐かしいマムスの村を思い出す。繁る木々、雲間から漏れる光、静かなせせらぎ。隠れ住む人々の言葉、ぬくもり、共に暮らしたささやかな時間の記憶。今はもうどこにも存在しないものばかりが押し寄せてきて、堪らなく胸が苦しくなる。目に付く全てを壊し尽くしたくなるから、だからこんな時は、友の側に居られない。

 

(――体の調子が悪い時はここに。いつでも来てください)

 

 耳の奥で、雨だれのようにやさしい声音が反響する。あの村でいつも傷を癒してくれた女性が、口癖のようにつぶやいていた。自分はもう若くはない、旅の供にはなれないからせめてこれくらいは、と、会いに行けば昼も夜もなく治療に当たってくれたものだ。内心では母親のように慕っていた彼女も、炎の中で別れて以来ついぞ会わない。恐らくはもうこの世にはないのだろうと悟ってはいても、時おり無性に会いたくなる。今の惨状をあの女性が見たら、どんな顔をするだろうか。命をかけてでも自分たちを止めてくれるだろうか、それとも沈痛な面持ちをして、争いを好まぬサイキックたちと隠棲を選ぶだろうか。そもそも自分が破壊でなく、彼女のように安らぎをもたらす者であったなら、何かが変わっていたのだろうか。ゆくあてのない思考ばかりが川の流れに浮かび、そしてまた、無明の意識へと沈んでゆく。

 

(あの時)

 

 はるか空の上、星々の大海を目にした時、確かに目の前に安住の地はあったはずなのだ。すぐには手の届かないその場所に憧れながら、平和のために力を願ったはずだったのだ。それなのに、もうどこにもゆけない。星をみていた瞳に映るのは、荒廃した大地と殺戮を繰り返すサイキックの姿だけだ。ブレインコントロールという繰糸を絶たれ、かりそめの平穏から解き放たれた人類が向かう先は、奇しくもあの軍人――かつま大佐といったか――が危惧したとおりの未来ではないか。

 

「僕たちは、間違ってなんかいないよね」

 

 誰にともなく問いかける。答えるものはない。どこからどこまでが正しかったのか、何が誤りだったのかなど、この世界の何人たりとも裁けはしないのだ。分かるのは安住の地などどこにも存在しないこと、そして、サイキックと人類どちらかが滅びぬ限りこの戦いも終わらないこと。待ち受ける未来が灰色だと知っているからこそ、こうして答えのない問いを虚空に放ち続ける。

 

「人間は自分で道を切り開ける。サイキックだって同じだ。誰もみんな、心を支配された人生なんて望んでやしなかった。だから僕たちは自由を取り戻したんだ。それはきっと間違ってなんかいなかった。間違ってなんか、いなかったんだ……」

 

 ――水の流れは黒ぐろと、星のない宇宙のように全てを呑み込み続いてゆく。

 

 

 

BACK